「新島襄海外渡航の地碑」碑前祭を開催できるよう準備を進めてまいりましたが、新型コロナウイルス感染症対策である緊急事態宣言の延長に伴い、関係者各位と協議を行い、参加者の健康、地域の安全確保等を考慮した結果、6月14日(月)に予定しておりました碑前祭開催を断念することといたしました。
碑前祭は中止となりますが、各自がご自宅、教会、学校などで、新島の志を共有することを願っております。
函館は、創立者新島襄が当時の日本の状況を憂い、世界に目を向け、海外事情とキリスト教を学びたいとの一心で、国禁を犯して、1864年(元治元年6月)に21歳の若さで出国した地です。
新島は、函館では五稜郭の設計者である武田斐三郎の塾に入る予定をしていましたが、武田が江戸の開成所教授に就任したことにより、ニコライ神父の日本語教師として司祭館に住み込みました。この函館での2ヶ月は新島が外国人と生活を共にした最初の体験であり、「国際人」新島の第一歩と言えます。その後、新島は福士卯之吉(後に福士成豊)の協力により、アメリカ商船ベルリン号の船長であるセイヴォリーに出会うことによって、海外渡航への道が開かれました。
新島がベルリン号に乗り込んだこの場所は、まさに同志社発祥の原点であり、それを記念して、1954年に新島襄海外渡航の地碑を建立しました。以来、函館市、同志社校友会北海道支部、函館クラブなど多くの皆様のご尽力に支えられ、例年多くの同志社関係者がこの地を訪れてきました。
碑には、新島が香港に入港した際に詠んだ漢詩「男子、志を決して千里を馳す」の全文が新島の筆跡どおりに刻まれています。新島が出国に当たって、胸中深く抱いたこの「千里の志」にかける熱い想いが、やがて同志社を開設し、建学の精神、学生の志として深く植え付けられました。
新型コロナウイルス感染症の収束を一日も早く迎えることができ、同志社発祥の原点ともいえる函館の地において、皆が集えることを祈念いたします。
学校法人同志社
総長・理事長 八田 英二