11月20日10時30分、「創立141周年記念礼拝」が、学校法人同志社、日本基督教団同志社教会主催のもと、同志社礼拝堂において執り行われた。
望月修治牧師(日本基督教団同志社教会)の司式のもと、説教者の山本真司同志社国際中学校・高等学校宗教センター主任が、「愛にしっかりと立つ」と題して次のように説教をされた。
『来年はマルチン・ルターが「95か条の提題」として知られる紙片を城教会の扉に打ち付けた年から数えて500年になります。ルターはローマ・カトリック教会と立場を異にする主張を撤回するように求められましたが、「聖書に書かれていないことを認めることはできません。私はここに立っているからです。神よ、助けてください」と答えたというのです。ここから、わたしたち同志社が属する本来の意味での福音主義教会が始められ、アウグスブルク信仰告白が形作られ、ローマ・カトリック教会とたもとを別つことになっていきます。Martin Lutherは、“Hier stehe ich ”(わたしはここに立つ)、と聖書を示したと語り継がれています。それでは、同志社は、141年間どこに立ってきたのか、今、どこに立っているのか、これからどこに立つべきなのか、思いを巡らせてまいります。
同志社が建学の礎としています聖書の教え、そこに描かれているイエスという方はご自分を助けることだけが苦手な救い主です。全知全能の神のひとり子は、実は、聖書全体を通して、情けない姿で人々に嘲笑されています。しかし、この情けなさが聖書の信仰を貫いている救いのあり方なのです。自分を捨てて相手のために生きる決意、これは生易しいことではありません。同志社の創立者、新島襄がアメリカで最初に学んだ学校はフィリップス・アカデミーでした。この学校のスクール・モットーは「non sibi」(自分のためにではなく)です。新島はアメリカで奇跡ともいうべき出会いを経験しています。善良で親切な人々が次々と彼を導いたことは良く知られています。non sibiを身に纏った人々の支えで彼は豊かな学びと魂の成長を遂げることができたのです。そして、全身に受けたその精神を生涯にわたって同志社に注いだということができるでしょう。同志社の精神を学び、確認するときに決して忘れてはならないこと、それが「わたしのためではなく」という生きる指針ではないでしょうか。
また、それが「同志社が立つ場所」であり、実は、自分だけを助けることができないイエスが示される豊かな人生への道標なのです。
神の愛にしっかりと立つ同志社を受け継いで行きたいと切に願うものです。』 |