11月18日(日)午前10時30分、「創立143周年記念礼拝」が学校法人同志社・日本基督教団同志社教会の主催により、同志社礼拝堂で執り行われた。
望月修治同志社教会牧師の司式のもと、原誠同志社大学神学部教授が「志を継ぐー自由教育自治教会両者並行邦家万歳」と題し、エフェソの信徒への手紙3章14〜21節により、次のように説教された。
同志社創立143年、同志社教会創立142年の礼拝を守っています。大政奉還から150年、平成という元号が終わる時、このときわたしたちに幸いなことは歴史に存在した新島襄の信仰と神学に立ち戻ることができることです。
新島の死の床で読まれたエフェソの信徒への手紙の言葉は、「愛の広さ、長さ、高さ、深さ」がどれほどであるかと述べています。それは今日の言葉で言えば性別、年齢、職業、教育、国籍、民族、国家を越えるものであることを示しています。それが同志社の「通則」の中に述べられている「第三条 本社ハ基督教ヲ以テ徳育ノ基本トス」であり、「第六条 本社ノ綱領ハ不易ノ原則ニシテ決シテ動カス可ラス」とありました。しかし、この同志社の根本理念は歴史のなかで2度、改変されました。 2度目の改変が行われたのは第8代湯浅八郎総長の時代でした。同志社の年表を見ると、1931年以後、社会主義、共産主義、自由主義が激しく攻撃された時代で、だれもこの枠の外に立つことが許されなかった時代でした。湯浅総長の在任期間は短いものでしたが大変な時代でした。神棚事件、「国体明徴」論文事件、「同志社教育綱領」の公表、そしてチャペル籠城事件が続き、そして湯浅総長は辞任しました。それは外からだけの圧力だけではなく内部からもあったのです。 そもそも同志社のキリスト教は、創立以来、社会的関心の強いものでした。キリスト教の信仰と社会科学のものの考え方、つまり理性的、合理的、論理的な考え方と信仰をつなぐものでした。そのような中で湯浅総長は「教育綱領」を定めたのでした。それは、「基督教ヲ以テ徳育ノ基本トス」を「教育勅語に基く教育を」ということであり、そのときに「良心を手腕に運用して国家社会に貢献する」という表現が示されました。『同志社百年史』によれば、湯浅総長が頑張れば頑張るだけ、同志社が困難な状況に追い込まれ、閉鎖されるのではないかと、本気で危惧されたのでした。 この時に、わたしたちが立ち戻って示される言葉が「自由教育自治教会両者併行邦家万歳」です。湯浅総長が去って創立者新島襄没後50年に同志社校友会の手によって「良心碑」が立てられました。わたしたちの信仰はただイエスをキリストと告白する個人の魂の中にあり、このような独立した個人こそが最も大切であるということをこの言葉が示しています。そしてこの志を継ぐものでありたいと願います。 |