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2019.11.30 第24回同志社国際主義教育講演会を開催しました

 

 11月30日(土)、今出川校地良心館107教室において、卒業生(1963年大学文学部社会学科卒)で日本近現代史研究者である保阪正康氏(ノンフィクション作家・評論家)を講師に迎え、「天皇家と同志社」と題して第24回同志社国際主義教育講演会を開催した。

 保阪氏は、はじめに各時代を通じて天皇家と私たちとの関係がどのように変わってきているのかについて、南北朝や江戸時代、昭和10年代、平成を例に挙げて解説され、天皇家と国民の関係は決して不変的なものではなく、時代によって変わるものであると述べられた。

 次に「新島八重と貞明皇后の関係」や「徳富蘇峰、ジャーナリストから財政の道に進みのちに日銀総裁となった深井英五、終戦時駐バチカン公使であった原田健といった同志社卒業の3人を通しての天皇家との関係」、「保阪氏が平成天皇や美智子皇后との交流を通じて」の3つの局面から「天皇家と同志社」について述べられた。

 まず、「新島八重と貞明皇后の関係」では、貞明皇后が大正13年に同志社女学校を視察し同日、八重と2人で1時間話をしているが、八重との会談内容について記録はないものの、貞明皇后との会談で八重が会津はいかに悲惨な状況であるか、朝敵の誹りを受けているかを訴えたのではないか、そして、貞明皇后は会津に対する歴史的な精算を行うために、大正14年に会津松平家の当時18歳の勢津子様を大正天皇の次男である秩父宮の妃として白羽の矢をたてようと思われたのではないかという説を述べられた。また、貞明皇后と八重のこのときの1時間の会談が、皇室の歴史を変えた可能性があると言及された。

 「徳富蘇峰、深井英五、原田健の同志社卒業の3人を通しての天皇家との関係」では、この3人は歴史の不可視の部分で一生懸命にそれぞれの持ち場で役割を果たしてきたことや、原田の電報が天皇に届かないといった日本の官僚組織の弊害から歴史の中で何が錯誤をおかすのか重要な視点が含まれていることを知る必要があると話された。また、同志社の人間が、可視化される歴史を形作らなかったにせよ、一生懸命正しい方向に動いたという事実が天皇周辺で行われたことを改めて想起する必要があること、また、同志社には、機を見るに敏な政治家や軍人はつくらないという新島襄の考えもあることについて理解する必要があるとも述べられた。

 保阪氏が平成天皇や美智子皇后との延べ20時間以上の交流を通じて、平成天皇が戦争後の責任について深く悩んでおられることや、一方で昭和天皇は平成天皇ほど戦争責任について深く悩んでおられなかった背景などについて話された。

 最後に、私たちは新島襄の原点に返って良心を手腕に運用する自治自立の人民であることを自覚することにより、天皇に対しても市民として意見を言い、関心を持ち続けることに繋がるのではないかというメッセージで、講演を締め括られた。

 当日は、学生、一般市民など約200名が参加し、講師の鋭い視点と実体験に基づくユーモアを交えた講演に熱心に聞き入り、質疑応答も活発に行われ、盛況のうちに講演会を終了した。

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