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同志社の歴史

密出国の際、新島襄が上海からボストンまで乗船したワイルド・ローバー号 1843(天保14)年 1月14日(陽暦2月12日)/上州安中藩江戸屋敷で新島襄(幼名七五三太)誕生
1864(元治元)年 6月14日(陽歴7月17日)/新島は国禁を犯して函館から米船ベルリン号で海外に脱出し、1年後にボストンに到着(21歳)
1874(明治7)年 新島襄、アーモスト大学を経て、アンドーヴァー神学校卒業
10月/アメリカン・ボード(海外伝道団体)の年次大会で、日本にキリスト教主義大学の設立を訴え、5,000ドルの寄付の約束を得る
11月/横浜に帰着(31歳)
同志社英学校の最初の卒業生 1875(明治8)年 11月29日/官許「同志社英学校」を開校。上京第22区寺町通丸太町上ル松蔭町18番地高松保実邸の半分を校舎とする。
教員は新島襄とJ.D.デイヴィス、生徒は8人であった。新島襄初代社長に就任
1877(明治10)年 4月/同志社分校女紅場を開設
9月/女紅場を同志社女学校と改称
同志社女学校最初の専用校舎 1879(明治12)年 6月/英学校第一回卒業生(余科15人)を出す
1883(明治16)年 2月/「同志社社則」を制定
1884(明治17)年 4月/新島、2度目の海外へ出発(翌年12月帰国)
9月/同志社最初の煉瓦建築、彰栄館竣工(国の重要文化財)
同志社病院と京都看護婦病院 1886(明治19)年 6月/新礼拝堂(チャペル)竣工(国の重要文化財)
1887(明治20)年 11月/書籍館(現・有終館)開館(国の重要文化財)
11月/同志社病院・京都看病婦学校の開院、開校式を行う
1888(明治21)年 11月/「同志社大学設立の旨意」を全国の主要な雑誌・新聞に発表
礼拝堂(チャペル)切手 1981.11.9発売 1890(明治23)年 1月23日/新島は静養先の神奈川県大磯の旅館百足屋で、徳富蘇峰、小崎弘道らに遺言を託して永眠(46歳)
1月27日/同志社チャペル前で葬儀が営まれ、東山若王子山頂に葬られる。墓碑銘は勝海舟筆
1月/山本覚馬臨時総長に就任
7月/アメリカの実業家J.N.ハリスからの10万ドル寄付によりハリス理化学館竣工(国の重要文化財)
9月/ハリス理化学校開校
1891(明治24)年 9月/政法学校開校
1892(明治25)年 3月/小崎弘道第2代社長に就任
6月/[女学校]本科を普通科、高等科を専門科(師範科、文学科、神学科)に改める
1893(明治26)年 10月/同志社徽章(校章)を制定
1894(明治27)年 1月/神学館(現・クラーク記念館、国の重要文化財)の開館式を挙行
1896(明治29)年 4月/普通学校を同志社高等普通学校と改称し、新たに同志社尋常中学校を開設
1897(明治30)年 3月/ M.F.デントン、出町幼稚園(現・同志社幼稚園)を開園
8月/横井時雄第3代社長に就任
1899(明治32)年 7月/西原清東第4代社長に就任
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