「新島襄海外渡航乗船之処」碑
この碑は、新島襄が脱国をした地に建立されている。
新島は、新しい知識を海外に求め、この地から海外へ渡航した。1864年(元治元)年に快風丸に乗船し江戸から函館へ到着、同年6月14日(陽暦7月17日)の深夜、福士卯之吉(後に福士成豊)の協力により、夜半、国禁をおかして、アメリカ商船ベルリン号に乗り込み密航に成功した。
1865(慶応元)年7月9日、上海でアメリカ船ワイルド・ローヴァー号に乗り換え、7月20日、ボストンに入港。渡米した新島は、修学10年の後、1874(明治7)年に帰国し、翌5年に京都で同志社大学の前身、同志社英学校を設立した。
なお、1887(明治20)年7月3日、新島は八重夫人を伴い、この地を訪問、往時を追懐している。
■建立時期1954(昭和29)年7月17日
■場所函館市大町11 (相馬倉庫奥)
■碑の概要幅120cm、高さ75cmの台石には田畑忍学長が記した大理石がはめられており、幅60cm、高さ180cmの碑は、宮城県産井内石である。裏面には、大塚総長による新島の業績が記されている。 |
■碑文 (表面) IN MEMORY OF 元治元年1864AD七月十七日旧暦六月十四日夜半 (裏面)
■碑に刻まれている漢詩について1865(慶応元)年3月に香港で詠んだ漢詩で、のち1883年(明治16)年正月に清書したものである。 訓読文 男児志を決して千里を馳す
■設置費用について同志社と函館市が10万円づつ分担。
■除幕式 1954年8月21日午前11時 |